スタイリッシュな楕円形の硯(右手前)や伝統的な硯(左手前)など、赤間硯の硯が並ぶ。
2024年7月30日 13時22分(日本時間)
山口 ― 赤茶色の石をノミで少しずつ削っていく。大きな柄に体重をかける職人の肩に食い込む。
山口県宇部市の山あいの集落に、赤間硯職人・稗田洋一さんの工房がある。赤間硯は、近くの採石場で採れる赤間石という赤い頁岩の一種から作られる。800年以上の歴史を誇り、なめらかな墨汁が作れることから、多くの人に重宝されてきた。
赤間硯は鎌倉時代初期(12世紀後半~1333年)に源頼朝将軍が神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮に献上したと伝えられており、硯の生産は12世紀末に始まったと考えられています。
「赤間硯」という言葉は、江戸時代初期(1603~1867年)の文献に登場します。江戸時代後期の日本の著名な知識人、吉田松陰が使用した赤間硯は、現在、山口県萩市の松陰神社の御神体として祀られています。
赤間硯の名は、山口県下関市赤間関で産出されたことに由来する。江戸時代に宇部で採石が行われるようになると、両市で硯が産出されるようになった。
最盛期の明治時代には、300人近い職人が赤間硯を作っていた。しかし、現在では両市合わせて6人にまで減少。その中で、採石から研磨まで一貫して手掛けているのは、宇部市の稗田さんと他の2人の職人だけ。4代目となる稗田さんは、2002年から父の俊夫さんに師事し、技術を磨いてきた。
上:稗田洋一さんが赤間石の塊を力強く彫り上げている。底:稗田が体に合わせて柄を調整したノミ
稗田氏は研究者でもあり、大学院生の頃、記録がほとんど残っていない赤間硯を論文のテーマに選び、硯の表面や赤間原石の成分を調べ、赤間硯が「磨くことができない」と酷評されてきた理由を解明した。 [sumi ink on]第二次世界大戦後の一時期、硯を磨く工程で天然砥石ではなく人工砥石が使われていた。
彼はまた、赤間原石を構成する粒子が非常に密に詰まっているため、硯から生成される墨の粒子が非常に小さいことも証明しました。
赤間硯の墨は、かな文字や墨絵に適している。稗田さんは、書道に励む女性が多いことから、硯を楕円形に削って軽量化した。この軽量硯が消費者に好評で、今では生産が追いつかないほどの人気だという。
稗田さんが今、最も気にしているのは後継者問題だ。「後継者が独立したときに安定した収入を得られる環境を作りたい」と稗田さんは言う。そのために、硯を彫るときに出る粉を陶芸の釉薬として使ったり、赤間石を使ったブレスレットを開発したりするなど、さまざまな取り組みをしている。
「『墨をやる人』を増やしたい。そのためにも、人の心を動かす本物の硯を作り続けていきたい」と語る。